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October 13, 2008

グーグーだって猫である


 期待していなかった映画でその通りの出来でした。
犬童監督が、大島弓子が好きなのはわかっているのですが、だからといって
こんなふうに大島弓子自身を描こうというのは間違っていると思います。
大島弓子の謎の部分はそのままで、彼女の作風から決してこんな風に映画に
なるような人ではないと思っている。
だから「グーグーだって猫である」というタイトルでも猫映画になっていなくて
途中でおかしくなるのだ。

 私は高校生のときに心の師匠から教えていただいたものにルキノ・ビスコンティと
大島弓子がある。
だから大島弓子は「雨の音が聞こえる」から読み始め、「バナナブレッドのプディング」
「綿の国星」「夏の終わりのト単調」とはまっていた。
もう28年も前の話になる。それからずっと読み続けていた。しかしストーリー
マンガからいつの間にか日常のスケッチ、それも飼い猫との日々の話になり始めた頃から
なんとなくここ数年読んでいなかった。「グーグー」は文庫版でこの映画を見る前に
2巻読んだ。ここでサバの死を知った。
 サバが登場するのはアスカコミックの「ダイエット」に収録されている「月の大通り」
で黒猫との話からサバをもらうことになった事までが描かれている。
サバはフランス語で「元気?調子はどう?」の意味。なかなか素敵な、おしゃれな名前
だと思う。

今回の映画の中では大島弓子を描くということで彼女の作品が多く登場する。
全集も出てくるがあれは実際には朝日ソノラマから出版されており、全部揃えると
背表紙が1枚の絵になるのだ。私も少ない小遣いで買い揃えたが絵は未完成です。
劇中作品として出てきたのが
「ダイエット」
「綿の国星」
「四月怪談」
「バナナブレッドのプディング」
「金髪の草原」
「夢虫・羊草」
「8月に生まれる子ども」。
これらは「大島弓子セレクション・セブンストーリー」として映画にあわせて出版
されているので興味のある方はどうぞ。


それぞれの作品がさてどのシーンで登場したかというと
「綿の国星」は神社で麻子が書いているマンガ。若かりし頃の仕事として書いているのが
これ。
「綿の国星」といえばチビ猫で大島弓子がブレイクした作品。アニメ映画にもなったが
これはまあ無謀といった出来でした。音楽はリチャード・クレイダーマン担当でした。
浪人生時夫が拾った猫がチビ猫。自分はいつか人間になると信じている猫。
そのため人間のような姿で登場する。「綿の国星」とは猫が死んだらいくとされている
天国のような場所。チビ猫はそこで出迎えてくれるホワイトフィールドという女王に
なる素質があるとされている。時夫との生活なかでチビ猫が日々ホワイトフィールドに
近づいていることを語るラストは生きることは死に近づくことと暗示している。
この作品の素晴らしさはそこ。だけど無理にシリーズ化しておかしなことになって
しまった。末期にはチビ猫の出てこない「綿の国星」があるぐらいだ。

「四月怪談」はアシスタントのナオミが感動したマンガとして出てくる。
監督小中和哉、出演中島朋子、で映画化もされている。
間違って幽霊になった少女が生き返るまで自分の姿が生きている人に見えないのを
いいことに自分の知人たちの裏側を見てしまうというお話。
幽霊の甦りもので、よくあるネタをマンガにしていて大島作品では個人的には好きな作品
ではなかった。しかし今回読み返して印象が変わった。特にラストの生き返るまでの
ドタバタと母親の叫びは泣ける。子が死んで火葬される親の気持ちが痛いほど
感じられるのだ。

「バナナブレッドのプディング」はマンガで描かれているラストの絵が登場。
まだ生まれてきていない子どもに主人公がこたえるシーンです。
「まあ生まれてきて御覧なさい、最高に素晴らしいことがまっているから」
このお話は姉依存症の主人公が友人の力を借りて偽装結婚して立ち直るまでの
お話なのですが、彼女を取り巻くキャラの描きこみが深く、サイドストーリも
しっかりしており少女マンガのなかでの自由度を発揮した作品になっています。
ここまで読み応えのある作品はそうありません。今回読み返してあらためて
テーマ性の斬新さそして今の時代こそ理解されるであろう内容に驚かされます。

「8月に生まれる子供」は最近作品で映画の中ではスランプ脱出の作品として
描かれていました。突然老化を始める主人公の少女。ボケが始まり恋人と
うまく行かなくなる。原作ではそのまま老化が進んで自分のことがわからなくなって
自分のことを客観的にとらえた台詞で終わっている。救いがないラストだ。
映画ではラストをいじって主人公が突然成長し始め、それが8月だったので
「8月に生まれる子供」となったとしていた。ラストを原作と変えているのだ。
こういうところが犬童監督の解釈が違うと思うところだ。大島さん自身が
8月生まれで自分の老いることに関しての恐怖のようなものを原作は表現している
のだと思うのだが、それを再生の物語としてしまうのだから性質が悪いと思った。

「金髪の草原」はどこに出てきたか判らないがコレは以前犬童監督が映画化している
作品で、ボケてしまい若者のつもりで行動する老人と少女ヘルパーとの物語。
マンガの原作はまあまあで大島さんらしい表現で老いというテーマを扱っている。
映画は無理があると思った。このシュチュエーションを実写でやるのはどうも。

「ダイエット」も不明。太った女の子が女友達とその恋人を両親に見立て
成長していくといったお話。高校生3人の話なのだが擬似家族を描いており
人の心の不可思議なところ、心理学に通じるようなところがあると感じられる
作品になっている。

「夢虫・羊草」は怖い絵として出てくる。和服を着た女性が暗闇を駆けていく
絵だ。この女性は主人公のお母さん。親の離婚で母親と生活することになる
小学生の少女。父親の浮気相手が同級生の男の子のお母さんと非常に悩ましい関係。
この作品ラストで「2001年宇宙の旅」の原作を読むシーンがる。
69ページで泣いたとの台詞がうたれているのだが果たして何が書かれて
いたのか謎。「2001年宇宙の旅」の原作本を調べたがわからなかった。
文庫版だと思うのだが版によってページは変わるだろうから特定できなかった。
非常に気になります。

ところで余談ですが何かで大島弓子は「綿の国星」は四畳半で「2001年
宇宙の旅」のようなお話にしたかったと読んだことがあります。なるほどと
思いながらもいまいちピンと来ずに今に至っています。


さて、映画ではよろしくない、解釈が違うと感じるところを指摘すると、
ラストに出てくるサバである。

少女の格好で出てきた。

確かにサバはメス猫。(「サバの秋の夜長」でプロフィールが出てくる)。
だけど大島さんはずっとカッコイイ男の子としてサバを描いている。
一説には大島さんの恋人を擬猫化したものではと言われているが、映画でしかも
実写でサバを出してくるのは無理があるし、どういう解釈でもやって欲しくない。
コレはこの映画の大いなる欠点。それならCGアニメでマンガと同じサバを出せば
よかったのだ。それならまだ笑って許してやる。

サバの死んだあとグーグーはなぜかまともな猫の絵で絵はかれている。
擬人化はやめている。他の動物も時々人のように描いていた。ゾウの花子さん
カラス、ハエ、その他の動物も。なぜか犬は登場したことがない。その擬人化
をやめた。コレはちょっとした心の変化があったと思われるのでやっぱり
恋人と別れたのか・・・・・とかんぐってしまった。

病気の話は本当だそうで闘病生活がマンガでは詳しく描かれている(グーグー
の文庫本第2巻)。大島さんらしい視点でガンとの戦いの日々が描かれているが
確かに映画にはなりにくいなと思った。だから映画ではネタは原作からですが、
ほとんどオリジナルエピソードになっていた。

さて最後に少々驚いたのは実名の出版社、角川書店の名前が何回か出てくる。
普通は架空の出版会社が出てくるところが、スポンサーになっているからだ。
コレがあまりいい印象をもてなかった。私個人にとっては、大島さんは
白泉社、朝日ソノラマ、主婦の友という印象が強い。アスカコミックなどで
角川書店からの出版は多いのだがだからといってココまで連呼しなくてもいい
と思った。

というわけで「グーグーだって猫である」はファンの目で指摘する楽しさはある
がいい作品というのからは程遠い作品である。これは大島弓子原作で共通して
いえることで彼女の独特の世界観をどう解釈しても映像化するのは無理な話なのだ。

だけど私が今まで映像化に成功しているといえる作品が1本だけある。

「毎日が夏休み」監督金子修介。
登校拒否の女子高生がリストラされた義父となんでも屋を始める。
就職難、リストラ、不況といった今の時代の先取りをしているかのような
作品で女の子映画の巨匠金子修介がこの世界観を映像化している。
映画も大変気に入った私はレーザーディスクを買ってしまったが、今
デッキが動かなくなってしまいLDは見られなくなってしまいました。

ラストに出てくる台詞が素晴らしい。
「計画する、
実行する、
失敗する、
出会う、
知る、
発見する、
冒険とスリル
自由とよろこび。
まさに夏休みそのものだ」

コレは主人公が義父と一緒に仕事をして感じたことをあわらしている。

この台詞で語っている「夏休み」とは「仕事」を表している。

自分の仕事を客観的に見ることが出来た瞬間、この意味が心にしみてくる
素晴らしいラストだ。この映画は金子修介の女の子映画としてもオススメです。


さて、ながながと
今回の映画の話と大島弓子作品についてごっちゃに書いてしまいました。
気になる作品があればどれでもいいので作品を読まれることをオススメします。


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Comments

コメントありがとうございます。

「8月に生まれる子どもたち」は
原作のラストはボケてしまった主人公の台詞で
終わっています。
しかし映画では再び成長を始めるようなストーリーに
なっており原作本来の味わいを損なっているように
思いました。

「毎日が夏休みは」いい作品です。
是非ご覧ください。

Posted by: 映画雑談家 | January 03, 2009 at 12:33 AM

はじめまして!
レビューに共感いたしまして、TBさせていただきました。
映画は残念な出来でしたが、この機会に大島さんの作品に出会う人がまた増えるといいですよね!

「8月に生まれる子供」の描かれ方は、私はそんなに違和感をもちませんでした。
原作でも、容赦ない老いの果てに、かすかな再生の希望を感じさせるラストだったと思うのですが〜?
はっきりと変えられているところがありましたっけ?

動物の擬人化をやめたのは、やはりサバとの別れが癒えない傷となっているのだと思います。
「グーグーだって猫である」は、サバのシリーズと比べると、マンガ作品としておもしろいわけじゃないけど、大島さんの心のリハビリなのだと見守っていました。
だから、こんなふうに大々的に映画化されることに違和感があります。

映画「毎日が夏休み」観てみたくなりました!
長々と失礼いたしました〜。

Posted by: チヒルカ | December 29, 2008 at 04:39 AM

はじめまして!
レビューに共感いたしまして、TBさせていただきました。
映画は残念な出来でしたが、この機会に大島さんの作品に出会う人がまた増えるといいですよね!

「8月に生まれる子供」の描かれ方は、私はそんなに違和感をもちませんでした。
原作でも、容赦ない老いの果てに、かすかな再生の希望を感じさせるラストだったと思うのですが〜?
はっきりと変えられているところがありましたっけ?

動物の擬人化をやめたのは、やはりサバとの別れが癒えない傷となっているのだと思います。
「グーグーだって猫である」は、サバのシリーズと比べると、マンガ作品としておもしろいわけじゃないけど、大島さんの心のリハビリなのだと見守っていました。
だから、こんなふうに大々的に映画化されることに違和感があります。

映画「毎日が夏休み」観てみたくなりました!
長々と失礼いたしました〜。

Posted by: チヒルカ | December 29, 2008 at 04:39 AM

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Tracked on October 13, 2008 at 12:23 PM

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