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March 27, 2011

阪神大震災の思い出~1995年1月17日から数日のことを忘れないように記録していました。

叩き起こされた。そんな感じの揺れだった。声にならない声を上げていた
ように思う。電話の留守電ランプが消え、部屋が真っ暗になった。
平成7年(1995年)1月17日午前5時46分に発生した地震のことである。
一人暮らしの停電。電話が通じない。テレビがつかず、ラジオの電池がな
い。床にビデオテープや本が散乱しており歩けない。ペンライトの明りをた
よりに外に出た。

他のマンションは僅かに非常灯がついているが、うちのマンションはつい
ていなかった。公衆電話も通じず、コンビニでラジオの電池を買おうとした
が、停電で物が買える様子ではなく、部屋に戻り着替えた。この事態の大き
さが掴めず、この日8時より会議があったので、とにかくスーツを着て、冷
蔵庫の中のものを確かめ(氷が解けて水浸しにならないように)、ブレーカ
ーを落とし家を出た。多分6時15分ごろだったと思う。

実家に電話が通じないので、とにかく行こうと思い自転車で向かった。上新庄駅へ
行こうかどうか迷ったが、内環の信号がついていないので、長柄橋方面へ。
そこは電気が来ており、停電が局地的なものであることが分かった。
公衆電話を見付け実家に電話ができた。6時30分ごろである。
実家(新大阪の近く)では妹の子ども(生後3週間)が寝ていることろに
本棚が倒れてきたということだが、妹はそのときは子どもを抱いて寝ていた
らしく、無事だった。停電は実家では回復していたので、部屋に戻るように
親にいわれたが、戻って駅へ向かった。

上新庄の駅はまだ停電しており、復旧の目途がたっていなかった。折り返
して長柄橋へ向かった。この時点で考えていたことはとにかく情報が欲しか
った。部屋に戻っても電気が来ていないし、再び揺れたとき外にいた方がい
い、だろうと思った。で会社に向かった。テレビが見れるのは会社の事務所し
かなかった。このとき会議があるかないか判断できなかったのも事実である。
上新庄から本町へは長柄橋をわたって天神橋筋六丁目に出て扇町、北浜、
堺筋というコース、約50分かかる。
橋を渡ったあたりから瓦の落ちているのが目につきだした。天六辺りは古
いビルが多く壁が落ちているのが見られたが、大した事はないというのが印
象だった。しかし、扇町から北浜に入ってきて、これは只事ではないと思っ
た。神社の鳥居が落ちていた。ビルのガラスが割れてそこらじゅうに散乱し
ているのが見られた。不思議なことに警備会社が来ているように見られなか
った。多分このような状態にあったビルは他にも多く手が回らなかったので
はないだろうか。中には銀行のビルのガラスがほとんど割れていたのを見掛
けたが、賊が入っても仕方がない様な状況だった。これが7時15分ごろだ
った。地震発生から1時間30分、警察や消防の動きが大阪市内では感じら
れなかった。

7時30分会社に到着。前日、会議資料を書いていたので最後に会社を出
たので、鍵を持っていた。警報を解除し、中へ入ろうとしたが、入り口の荷
物がふさいでおり入れない。別の入り口をあけ中に入ったが、エレベーター
はズレが出ており危険を感じ乗らなかった。他に出勤しているものがいない
か内線で探した。私と同様に会議のために早く出てきたT君がいた。八尾市
の彼の家は問題なく、50ccのバイクで来たと言う事だった。彼の机のあ
るのは私の所とは別で、そこの扉もずれが出ているとのことだった。
私の事務所は10階だけれど上がるのが怖く、誰かくるまで待とうと1階
にいた。外では水道管が破裂しているらしく、水がマンホールより流れ出て
いた。この時2度目の揺れがきた。かなり大きく電線の揺れるのが見えた。

Uさんが出勤してきた。彼女は深夜バスで東京から帰ってきたばかりで、地
震にあったのはバスの中だったという。高速の降り口で悪い道を走っている
感じがしたらしい。私が再び電話をしている間に、彼女がエレベーターで10階まで
上がった。続いて私も上がる。なんとも言えない、そうこのあと人
に会うたびに言っていたのだが「笑らわなしゃーない」そういう状況だった。
ロッカーやスチール製の棚が全て倒れていた。私の机まで辿り着けない。
足の礎み場がない。資料、ファイルが散乱していた。
とにかく情報が欲しい。なんとか倒れているロッカーの上を歩いて自分の
机にまで辿り着き、ビデオウォークマンを手に入れた。ニュースでは自分で
は予想できなかった被害の様子を放送していた。時間が経つに連れて被害の
大きさが本当にとんでもない物だと言う事が分かった。

徒歩やマイカーでなんとか皆が出勤してきた。震源地が淡路島で、神戸方
面の被害が酷いことが分かり、何人かいる知人の事が心記だったが、このと
きすでに連絡は取れなかった。
保険の関係もあり写真撮影も行ったが、私はビデオ撮影を行った。こうい
う時に限っていつもの8ミリビデオカメラがなく、大昔のVHS方式のビデオカメラで
撮影した。もう何年も使用していなかったのだが、ケースにはいっていたため
地震による損傷はなく、使用できた。
10階の事務所と会議室、この会議室の机がいつもは綺麗に並んでいるの
にグチャグチャだった。9階の売り場にある給茶機が倒れており、8階では
天井の水道管が破裂しており水が漏っていた。
事務所の整理が始まると直ぐにお昼になった。昼食はコンビニで適当に買
ってきたおにぎりを食べたのだが、このときはまだおにぎりが手に入った。
本当の被災者に比べれば大した事は無いのだが、しかし妙にみじめだった。
この様な事態は自分には関係ないとずっと思ってきたからである。

売り場が先ということもあり事務所の復旧は思うように進まなかった。
そして、会議をやるとの連絡がきた。16時ごろだった。どういうつもりな
のか疑ったが、遠方より来ている人もいるので手ぶらで帰す訳にもいかない
というのが現状だったのだろう。私の頭の中では気になることが多く会議に
集中できなかった。

18時ごろ終了し、事務所にもどる。やはり片付いていない。しかし、日
がくれてくると不安になるし、この時交通機関がまともに動いていなかった
ので早く帰ることになった。この時同僚との連絡はとれ、皆の無事が確認で
きていた。私は自転車に乗り19時ごろ事務所を出た。

食料を買って家に帰ったが、どうもー人でいるのは怖い、そんな感じだっ
た。テレビを付けたままで散乱した部屋を片付けた。ガスが止まったままで
風呂に入れず普段着のまま電気とテレビをつけたまま浅い眠りに就いた。

1月18日は阪急京都線はまともに動いていた。地下鉄もほぼいつもどう
りだった。半日掛けて事務所の復旧作業を行った。次第に身近な被害の情報
がはいってきたが、それなりに怪我があったり家が潰れたというもので、
命を落としたという話がなかったのが幸いだった。

この日「フランケンシュタイン」の試写会があった。梅田スカラ座は半分
ぐらいの入りだった。地震の影響だろう。こんな時に映画でもないわな。
観に行った私は不謹慎だろうか。どうも楽しめなかったのは映画の出来だけで
はない。

1月19日。この日結構落込みが激しくなってきた。緊張感が解かれたか
らだろう。昭和天皇崩御以来の連続報道に飽きが来ていた私は仕事の帰りに
「日本沈没」のビデオを借りた。これも不謹慎か。しかし、確かめたいこと
があったのである。
いわずと知れた20年前に制作された東宝映画の名作である。この中で描
かれている地震は今回の括断層が原因の地震とは違うが、災害の内容として
予言していたかのような、いや警告的な内容のところがある。中盤で東京大
震災のシーンでビルのガラスによって怪我をする人が出てくる。これに良く
似たシーンが「地震列島」の中でも出てくる。私が遭遇した北浜のビルの惨
状がこれにあたる。
次に映画の中でも火事が起きる。これに対して消防がはかどらない理由と
して地震による水道管の破裂で消火栓が使い物にならないというセリフが出
てくる。今回の火事も消化がすすまなかった理由がこれである。理屈のうえ
では多分だれもが分かっていたのだろう。しかし、対策が立てられていなか
ったという事だろう。
東京大震災のクライマックスは皇居に避難民を入れるかどうかのシーンで
ある。その避難民を見て涙が出てきた。映画と現実との差が無かったから
である。東京大震災の死者・行方不明者は360万人と設定されている。今
回の兵庫県南部地震は約5000人。桁は違うが映画の数字よりこちらのほ
うが重みを感じ大きく見える。
「ウルトラマン研究序説」という本の中でゴモラに破壊された大阪地区の
被害総額を425億円と算出している。この本を読んだときは笑い話として
済ましていたが、今回の地震によって、怪獣に襲われたのと同じぐらいの被
害があったと考えられるのではないだろうか。「ウルトラセブン」でキング
ジョーが神戸を攻撃していたから、それに相当する被害が今回の地震であっ
たと考えられると思う。これもまた不謹慎な話か。しかし、各地に怪獣が現
れている。その時どうするのか、どういった被害がありどう対処していくの
か危機管理として考えておく必要はある。怪獣が地震に代わるだけである。

日がたつに連れているんな人の話が聞こえてきた。一人一人にドラマがあ
りそれが悲惨でもあり、笑い飛ばすことができるものでもありと様々である。
知人に死んだものはいないが、怪我をしたという話は聞こえてきた。会社の
店舗が東灘にあり営業できる様子ではないという。取引先とは救援物資を持
っていくのでと打ち合わせがなくなったり、お見舞いの電話をもらったりし
た。地震という大事件のなか様々な人が、いろんな事を考えて過ごしていた
のである。まさにロバート・アルトマンの「ショート・カッツ」の世界である。
あの映画を観たときラストの地震でバラバラの話をーつにまとめようとし
ていた。それが安易に思えたのだが、今回の地震であの映画の意図のような
ものが見えたような気がする。皆同じ世界に住む人間なんだと。そして自然
の大きな力の前にはー溜まりもない。だからといって悲観的になるのではな
く、むしろその中でお互い旨く生きていこうというメッセージがあったので
はないか。多少飛躍しているだろうがそんな気がする。

「天災は忘れた頃にやってくる」これを書いているのは1月22日から24日にかけて
である。何時に地震がくるなどのデマが聞こえてくるが、どれ
ーつとして当てにならない。きっとこんなデマも流れなくなった頃に再び地
震がやって来るのではないか。それは1か月後か1年後か、はたまた10年
後か分からないが。
私の受けた被害など本当に大した事なかった。兵庫県南部地震により多大
な被害を受けられた方に心よりお見舞い申し上げます。

映画雑談家'95/1/25


16年前に書いた記録ですが、今回の東北太平洋沖地震発生にあたり
ここにあらためて掲載します。
2011年3月27日


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