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September 01, 2015

#この国の空 ~反戦映画というよりは・・・・ #映画

◆お題:この国の空
◆監督:荒井晴彦
◆出演:二階堂ふみ、長谷川博己

さて、日本の政治家たちがどうやって戦争を終わらせようか、日本のいちばん長い日
を迎えるのに必死になっていたころ、里子は隣に住む妻子ある男性にひかれていた。
母親と二人の生活のなか日々心配することは食べ物ことや空襲のことなのだが、しかし
こういうときでも恋はするもので、少女にとって恋の対象は彼しかいなかったという
こと。母親も半ば認めているのは戦争という状況がそうさせるのだろうか。
物語はあまりにもありきたりすぎて、なんとか二階堂ふみを脱がせようとした映画
にしか見えないのだが、そのシーンもあまり色っぽくない。戦争が終わって、里子に
私の戦争がはじまるというあのセリフを言わせる為だけにこの映画は作っているよう
に思えた。そのこだわりはわかるが、もっと男と女のどうしようもないドロドロと
のめりこんで抜けることができない状況になってこそあのセリフが生きるのではない
かと思った。明日どうなるかわからない中でお互い求めあってしまい抜けれなくなった
のだがその状況を作りだした戦争がなくなった時にさて二人はどうなる、どうする?
そんな映画を見たかった。里子は次のステップへ進むのか、それとも抜けられないのか、
自身が戦う場はどこなのか、中途半端な印象で終わってしまったように思う。

あの夜中、里子のもんもんとした体の疼きのようなシーンやSEXの後始末をして
彼女が処女だったことが分かるシーンなどはどちらかというと不要。本来なら映画の
ポイントとして見せ場の一つであり印象深いものになってもいいが、なんかとって
付けたようなシーンのような気がして。

とここまで書いてきて一つ気づいたのは私はこの映画を反戦映画として見ていない
ということ。あくまで一人の少女の恋物語。その舞台が戦争中だったということ。
果たして製作する側はこれを反戦映画として作っていたのかな。

ラストの「私がきれいだったころ」の朗読はその詩そのものがもつ戦争への怒り
のようなものを感じるがこの映画はそれにふさわしいものになっていたか。
まあ彼女の心情を表すものに使っていたのだとは思うが反戦映画としてみていない
私としては違和感があった。やはり反戦の意味をこの映画に込めていたのかと。
この詩の登場は少々混乱する。


これを書いてから朝日新聞のこの映画の記事を読んだ。
その中にこの最後に詩ついて質問があった。監督曰く
「分からない」といわれるが多くて念には念をいれてこの詩を入れたとのこと。
そんなに観客に媚びなくていいし、自分の映画を、自身の考えで撮ればいいのに
と思い、ちょっとがっかりだし、観客はそんなにバカじゃないよと思った。
ということはやはり反戦の意味を込めて作っていたのか。ではあの私の戦争が始まる
とうセリフは無くてもいいのでは。戦争のない日常が戻ることがわかり、
あの詩の朗読で今回の彼女の経験したことが端的に表現され反戦の意味が強まり
いい終わりを迎えたと思うのだが。

ところで、
今回母親役の工藤夕貴気づきませんでした。この人誰?って、年取って顔が変わっ
ちゃったかな。

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