宮崎駿 ジブリ

May 28, 2017

#ルパン三世カリオストロの城MX4D版 ~旧作のMX4D化ありです。次回はキンゴジを希望! #映画

◆お題:ルパン三世カリオストロの城MX4D版
◆監督:宮崎駿
◆声の出演:山田康夫、
 
いまさらなぜという疑問が先にありましたが、旧作のMX4D化というのは興味があった
ので見に行ってきました。
まあ何回も見て、台詞も覚えているような映画で誰もが知っているような作品なので
内容についての感想は書きませんが、でも面白かった。高校生の時にクラリスが好き
だったし、宮崎駿という名前を脳に刻んだ作品なので本当に懐かしかった。
それでMX4Dですが、今回は3D化ではないので見た目はあまり変わりません。
まあ画面の動きに合わせて椅子の揺れが楽しめるのと、画面の中の主体に合わせて
動きが変わるのでちょいと忙しく、それが計算された映画ではないところが
違和感を感じました。つまり映画の中ではクラリスの反応とルパンの反応が
交互に動きとして表現されるのでウザイ。どちらかでいいのでは。
計算された映画ならその点をうまく整理できるのではないかと思った。
何でもかんでも動きに合わせる必要はない。
今回意外に多かったのは水、何回も濡れた。濡れた気分になってしまいました。
これはこれで効果ありで面白かった。

ところで今まで知らなかったことがひとつ。
オープニングのカジノから逃げるルパンと次元。乗り込んだフィアットに
五右衛門が乗っていたとのこと。確かに追ってくる車は斬鉄剣で切られていたから
五右衛門がいたことは容易に想像できるのだが、まさか車内にお金と一緒に
いたとは今まで気づかなかった。噂を聞いてDVDで見直し、五右衛門の頭を
発見して確認ができた。
40年たって初めて知りました。


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January 15, 2016

バルス!

ズバリ23時22分でしょう。

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#バルス まつり 本日開催

本日開催「バルス祭り」。

「天空の城ラピュタ」の放映中に
パズーとシータと一緒に
滅びの呪文「バルス」をツイートするもの。

予定時間は23時20分過ぎ?

2013年8月の放送時には1秒に14万3199ツイートを記録

さてこの記録抜くのでしょうか?


さあ、皆様もご一緒に滅んでください。

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August 18, 2014

思い出のマーニー ~ 怪奇洋館に棲む老婆の呪い! って感じではないね。 #映画

◆お題:思い出のマーニー
◆監督:米林宏昌
◆声の出演:高月彩良 有村架純

 ネタバレありで行きます。
 これって怪談話だよね。
だっておばあちゃんの幽霊が夜な夜な孫を連れ出して夜中遊ぶというもの。
まあこれで孫娘の精気が吸い取られてぼろい洋館が立派な洋館に
戻っていけば「HOUSE」になったのにね。
 この映画、ストーリーとしてはなるほどとうなずける内容の話で、ひと夏の
経験で少し少女が成長したように見える作品。まあよくあるものなんだけど、
なぜこれをアニメで作りたかったのかわからなかった。ああこのシーンは
アニメじゃないと無理かな、これアニメでやりたかったんだと思うシーンが
あるのが普通なんだけど、この作品にはそれが感じられなかった。まあ、
マーニーと杏奈が同じ時間に存在するころを描くのがポイントかなとは思うが
実写でもできるなあと思ってしまった。
 物語の真相が久子によって語られ、全貌が見えてしまってからあの写真が
出てきて杏奈とマーニーの関係がわかったことになっているが、ネタふりが
いくつかあって久子がすべて語っているのだから、あの写真が最大の秘密
にはなっていないように思うのだが。だってそれまでに察しはつくよね。
その展開は下手くそだと思った。むしろ久子の語りを無くして写真だけですべて
を語るようにもっていけなかったか。説明ここまで多くないと理解されない
のかな。もう少し見る側に想像の余地というか見るものを信頼して物語を
なげてもいいのではないかと思った。

 さてジブリは長編は少々お休みするとの報道があり、短編は作るとか。
それで短編作品の中には宮崎駿の作品もあるらしい。
なんでも宮崎監督は長編作品の監督はしないといったが
短編は作らないとは言っていないとか。
商売の臭いがしますね。

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December 01, 2013

風たちぬ ~祝!まどか☆マギカとアカデミー賞のノミネート候補に!

◆お題:風たちぬ
◆監督:宮崎駿
◆出演:庵野秀明、瀧本美織

「ルパン三世カリオストロの城」
「風の谷のナウシカ」
「天空の城 ラピュタ」
「となりのトトロ」
「魔女の宅急便」
「紅の豚」
「もののけ姫」
「千と千尋の神隠し」
「ハウルの動く城」
「崖の上のポニョ」
ときて
「風たちぬ」です。

アニメーション監督として作品を発表し、その作品タイトルには必ず「の」の
文字が使われていました。しかし今回はなぜか「の」がない。コレは何かある、
もしかすると本当に脳無しの映画かと公開2日目に見に行ったのですが、なんか
感想を書きづらくて先延ばしにしてしまいました。そうこうするうちに引退宣言が
あってまたまた話題に。鈴木プロデューサーの戦略に客も監督もまんまと乗せられ、
映画は空前の大ヒットとなっています。
果たしてこの映画、どうみたらいいのかますますわからないようになってしまった
というのが私の素直な気持ちなのですが・・・・・。まあつらつら思いつくままに
書いてみます。

ズバリこの映画は「ジジィの妄想映画」です。
あれほど素晴らしい4分間の予告編を作っておきながら、本編は前後のつながり、
細かい説明、心理描写を省いてストーリーをつづったものになっており
よくわからないところがいっぱい。
でも飛行機を飛ばしたい、飛ばした絵を描きたい、見せたい、やってみたい
で夢のシーンがいっぱいあって好き勝手に飛ばしている。
まあ当時の記録映画に似たようなシーンが多く、その再現なのですが、何種類もの
機体を好き勝手にやっていくので妄想、自己陶酔の世界にしか見えない。
かたやモデルとなった人物がいるのに戦争の道具としての飛行機を製造することの
苦悩のようなものが感じられないつくりになっている。
まあそれでいいのか?といいたくなるのですがそれでいいのでしょう。
今回は許されたのでしょう。
それが「風たちぬ」という映画です。

そう考えると食べるシーンにこだわりがあるといままで思ってきたのですが
今回は印象的な食べ物は「シベリア」しかなかったなあ。

ところであの時代の男女ってあんなにキスした?
ちょっと多くないかい。

タバコのシーン多いなと思っていたらクレームついて、やっぱりね。
病人の横でタバコを吸うなんてありえない。でもそれは今の考え、当時は
ありえるのだ。それを強引に描いている。これが面白い。病気で寝ていても
夫が帰ってきたら起きて迎えて上着をハンガーにかけるといっしょなのだ。
こういった所作、動作はさすがと思わせる。

あのサナトリウムの描写、分かりづらかった。
なぜ菜穂子は外に寝ていたのか?
他にも
二人は結婚したけど、その後の生活についてお互いの親はどう思っていたのか?
なぜ出てこなかった? なんかほったらかし? 菜穂子は病気なのにね。

もともと汽車の中での出会いから震災のシーンで彼は菜穂子より一緒にいた
お手伝いさん?世話係りの女性の方が好きだったんじゃないの?
あのときの菜穂子ってまだ子どもだし。

最初から話や人物を描くことを放棄しているように見え、
夢のシーンでひたすら飛行機を飛ばすことだけを描いた映画としか見えない。
誰も監督を抑えにかからなかったからではないか。
こんなストーリー展開では駄目です、細部が分かりません、観客の想像に委ね
すぎです、説明不足です、このシーンが意味するところはなんですかと
誰もいえなかったんだと思う。

実はこの傾向はポニョの時から現れていて、あの映画を見て押井守が「ジジィの妄想」
といったのだが、今回その意味がわかった気がした。

ハウルは原作があることにより抑制が効いていた。でもヒロインソフィの見え方が
意味無く変化するあたりはポニョの姿が意味無く変わるのに似てその意味することが
全く見えなくなってしまっていた。

それと同様に「風たちぬ」でも多くの夢のシーンが本当にどこまで意味しているのか
理解できない状況になっていた。それなりに分かるがしかし・・・・?といった
感じである。
「紅の豚」のときはちゃんと飛行機の飛行シーンを見せようとしていた。
それはストーリーの一部であり、彼なりの飛行シーンの見せ方だと思う。
ナウシカ、ラピュタ、カリオストロ、それぞれ飛行シーンは含まれるが
宮崎の描く「飛行」はそのストーリーの中でいかされたからこそ、皆その
シーン、その映画が好きになったと思う。
そう考えると夢のシーンで出てくる滑走しない飛行機はリアルに思えないし
オリジナリティに欠けるなあと思う。

さて自分自身で何がいいたいか分からなくなってきた。

引退宣言はウソだと思っています。

私の記憶ではハウルのときが最初、ポニョの前にも言っていた。
今回、鈴木プロデューサーが最初にこの映画を「宮崎駿の遺言」といったので
それを受けてあのような記者会見までして猿芝居をした(させた?)のだと思う。

また戦国時代のマンガを書いているとの噂があり、
NHKのドキュメンタリーで写ったとか(私は見ていないが)。
監督はしないっていっても宮崎駿には誰も逆らえないなから
その作品を映画化するときにはやるだろうな。
町工場の親父にこだわっていたが、町工場の親父は生涯現役なんだよね~。

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October 14, 2013

千と千尋の神隠し ~公開当時に書いた感想です

「千と千尋の神隠し」についての映画雑談
さてこの映画、どうでしたか?
私は特に感動があったわけではないです。というのも10歳の少女にはもうなれないからです。
以前は近い気持ちになれた気がします。トトロのサツキ、魔女宅のキキの気持ちが分かったような気がするのです。しかし今回は・・・。
で誤解されてはいけないので断言しておきますが傑作です。これは紛れもない事実です。
「もののけ姫」は駄作です。あれは奇跡で話を収束させているところが、途中で投げ出しているのが分かります。「風の谷のナウシカ」の焼き直しというの気に入らない。
ナウシカで涙したものには「もののけ」は泣けない。
「千」はというと泣くところがないし、エヴァンゲリオンの使徒のようなカオナシが汚い、怖い、気持ち悪いこれがこの映画の欠点。宮崎キャラらしからぬ動きと表現である。ここはもしかしたら庵野が作ったのかもしれない。ジブリに出入りをしている話を聞いた(ナウシカの巨神兵は庵野担当だから本当にそうかもしれない)。
いいところはどこかというと、無理にクライマックスを作っていない。どうしたらいいかわかないがとにかくやってみるしかない。その結果が見えない、でもやってみる。帰りの切符のない電車旅はいい。銀河鉄道のように。
最後、彼女のなかに何か残ったのか? 彼女は何か変わったのか?一つ大人になったか?
これぐらいではなかなか成長しません。そんなに甘くない。そこがいい。トンネルのなかでやはりお母さんにくっつている千尋は映画の最初の千尋となんら変わらない(実はこのカット同じ絵を使っている)。でも髪の毛には飾りが・・・。あんなにいっぱい大きな経験をしても、残るのはこれぐらい、でもそれが人生というもの。もっと、もっといろんな経験をすることになるのだという事だと思う。
 この映画のあら探しをしてしまうのだが、疑問が非常に多い。多分そんなことはどうでもいいことなのかもしれないが、りんをはじめとするあのお湯屋で働いている少女たちは一体何なのか? 千と同じ境遇の子ども達なのか? でもりんはいつかここを出てやると思っている。あの世界そのものも妖怪(?)神様のたぐいがたくさん出てくるが一体どういう所なのか?湯婆婆は夜毎に鳥の姿になってどこに行ってたのか?ユニークなキャラが多いだけにその描き混みが薄いような気がした。いつもならもっと、一発でキャラの性格・設定を表しストーリーに上手く絡んでくるが、今回は中途半端な気がした。
 
 「千」は今回日本映画としては初めてデジタルシネマとして製作されDLP(デジタル・ライト・プロセシング)方式で上映される。「SWエピソード1」「ダイナソー」とかで東京ではスタートしていたが、大阪では今回初めてスカラ座で採用。何が違うか?一見よく分からない。今までのはフィルムを投影し上映していたのを、デジタル信号を可視光線にして蟻の手より小さな130万枚の稼動式鏡に反射させて上映するというもの(キネコやビデオ上映とは根本的に違う、尚この解釈・解説はチラシを読んで私なりに表現していますので間違っている可能性もあります)。コンピューターで制作した絵がよりくっきり見えるらしい。見比べたら確かにそう見えるシーンはあるが慣れてしまうと気にならない。知らない人間は気付かない。しかし、光ファイバーで各映画館に供給されれば本当にフィルムはなくなりコストダウンははかれるし、保存状態も上映状態も何年たっても美しい! フィルムの傷やゴミ、画面のずれが懐かしくなる時代がそこまで来ている。しかし、フィルムというフィルターを通して観る(映る)映画の世界が私は好きなのだが・・・。そんなこと言ったらお前は古いと言われるかな。


公開当時 2001年7月 に書いた感想です

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ハウルの動く城 ~公開当時に書いた感想です。

 「ハウルの動く城」について色々と語りたいことがあり、テーマをあげてそれについて書いていこうと思います。
 で、これを読む皆さま、映画を、「ハウルの動く城」を観ましたよね。観てからここから以降を読むようにしてください。何故が、単にネタバレがあるからではありません。

1)「宣伝」について・・・。
 お気づきの方もいると思うのですが、この「ハウルの動く城」の情報、前宣伝が非常に少なかった。公開予定の映画館では特報から予告と5パターンぐらいが流れていたと思うのですが、それ以外の露出はなかったといって良いほど。ローソン店頭、ハウス食品のCMぐらいではないでしょうか。それだけ自信がある作品といってしまえばそうかもしれません。しかし東京国際映画祭でも上映だけでゲストなしとか(ネットの書き込みで読みました)、キネマ旬報で特集がなかった(12月下旬号で特集)など全く事前情報がなかった。
 映画公開前には監督や出演者、スタッフがいろんな番組でかかわった映画の事を語り、少しでも露出させることに必死になるものです。特に宮崎監督の最新作となると、どの媒体でも絵になる、話題になるのに・・・。おかしいなあ、変だと思っていたら、鈴木敏夫プロデューサーの「宣伝をしない宣伝」というコメントを目にした。
 これはプレスシートに書かれたコメントで「(前省略)内容の詳細な紹介やテーマの解説等をすべて止めた。映画を余計な予備知識無く、素直に見て欲しい。宮崎駿が、切に、そう希望したからだ。」とかかれていた。これは「千と千尋の神隠し」の時の反省からだそうだ。
 私はこの策にまんまと乗せられ、ほとんど予備知識無くこの映画を観ることになった。だから、制作者達の意志を尊重して、映画を観ずしてこれを読んで欲しくない。

2)堪能しました。
 なんかね、絵画を鑑賞しているかのような、どっぷりとつかって観ていられるのが非常に心地よかった。
 最初の動く城の動き、技術的な事は分からないがセル画に固執したかのような複雑な動きがこの城を命があるかのように見せる演出が素敵だ。最初の特報でも、いいね、って感じた、それが見事に本編に溶け込んでいる。
 そしてその世界観、魔法と魔法使い、科学が人にとって便利に使えるようになってきた、そんなファンタジックでノスタルジックな世界を一瞬でオープンニングで描ききってしまっている。この世界はある意味理想かな。魔法が使えない人間は科学で対抗しようとしている。人が自然と共存出来るギリギリの線の世界のお話。
 気に入ってるのは最初のデートシーン。ソフィがハウルと出会って追っ手に追われ空へ駆け上がる。なんとロマンチックなシーン。今回も 飛ぶ シーンはふんだんに出てくるが、このシーンに勝るものはない。実は屋根をまたいだり、飛び越えたりするシーンは「カリオストロの城」で有名なルパンの三段跳びシーンがあるのだが、それの再現に見えた。しかし今回はあんなに激しいシーンではなく、一瞬で恋に落ちる名シーンとなったといえる。
3)声優さんたち。
 声の出演は賛否があるのでは無かろうか?私は基本はOK、まあGOOD。
キムタクの声は特に問題があると指摘する人がいるのではと思うのだが、私はよかったと思っている。あのキャラ、あの顔で、今日本で出来るのはキムタクだけだろう。
 倍賞さんもよかった。老人と少女の使い分けがいい。
 しかし、この二人がひとつの画面にはいると違和感が出てしまった。これは芸歴、演技の差。キャラに合っているが、なんというか重み、厚みのような差が出てしまっているように感じてしまった。その他もベストの配役とは思うが、1点、謎の犬のヒンの声をあてた原田大二郎はどこかで台詞言った?

4)そして謎
 一番の謎はソフィーの呪いは解けたのか?
これがわからない。年をとってしまったソフィーが元に戻る事がお話の本筋かと思えば
そうではない。途中で何度も若く戻った姿で出てくる。シーンそれぞれに意味があって描き分けられていると思って観ていたが、もしかしてこの呪いは結構早い段階で解けたのか? 最初は本当によぼよぼだったのに、途中なんどもしわが無くなり、腰まで立ってる。
このあたり解説がほしい。 その他に、
 マルクルとハウルの関係は?
 マルクルがわざわざ変身するのはなぜ?
 そもそもこの戦争はどういったことで起きたのか? どことどこの戦争。
 後半ソフィーは妹と再会して、お母さんと読んでいたのはなぜ?
結構疑問点がおおい。何か示されているのかもしれないが読みとる事が出来なかった。

4)食事
最初に出てくるのは パンとチーズ。ソフィーが逃げる時に持って出たもの。
フライパンでベーコンエッグを焼くシーンもいい。あのベーコンエッグ美味しそう。
たかがベーコンエッグ、されどベーコンエッグであそこまで美味そうに描けるのはそういるものではない。

5)そしてテーマはなんだったのか
 それは「愛」です。と言ってしまえばそれまでか・・・。一緒に暮らしていれば家族のようにいなり、やがてお互いを守りたくなる存在になる。そういう人の普遍的なものを描きたかったのではないかな。

6)「おわり」で終わる宮崎映画
 全ての宮崎映画が「おわり」とひらがなで終わると思っていたのですが、今回調べて最近の作品だけと分かりました。ここに注目したのは、最後に出るこの言葉が子どもの聞かせるお話のような終わり方のように思えたからです。トトロでは「おしまい」と出ます。明らかに子どもたちに向けての語りかけでしょう。だから「おわり」とひらがなででるのは、どの作品も宮崎さんにとっては子どもたちへのメッセージなのだと思うのです。
これだけ世間を騒がせていても、未来を担う子どもたちへ一貫して自然との共存を訴えているのだと思うのです。
「宣伝をしない宣伝」から宮崎さんの言葉が聞けないのがある意味残念なのだが、三輪明宏が代弁してこう言っている。
「(省略)血縁が無くとも想い出を共有してきた結果が家族であることや、善だと思っていたことが悪だったりすることなど、様々な事が描かれている(中略)観る方の許容量にあずけている作品。(中略)ただ観て感じてください」(キネマ旬報・完成披露試写会の記事より)
宮崎監督の余裕とも言える言葉だが、映画館から子どもたちが持ち帰った何かを大切にして欲しいという願いを感じる言葉である。


公開当時 2004年12月 に書いたものです。

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August 12, 2011

コクリコ坂から ~子から親への個人的なメッセージ映画では?

「コクリコ坂から」
―――――――――――――――――――――――――――
監督:宮崎吾郎
声の出演:長澤まさみ、長澤まさみ

 やたら食べるシーンが多い。挨拶が丁寧。これは前作でも感じたがそこに
こだわりがあると見た、がしかし、内容がなさすぎ。一体誰に、何を伝えたい
言いたい映画になっているのか分からない映画になってしまっている。
細部を省略し、説明が少ない分時間は短くストーリーも想像が付くので
混乱はない(前回は迷走、迷走、迷走で見るのが苦痛の映画だった)。
でも、なにも伝わるものがないのだ。

 中学生の恋物語。昔はよくいた出来る少女。家のこと、家族の、姉妹の
面倒をみて学校でも人気者の彼女が恋をした。その相手と急接近するが
二人は兄妹かも知れない!という事実がわかり・・・・。って冬ソナかよ。
その事実の受け入れかた、二人とも疑わないというのがおかしいやろ。
その心の戸惑いの表現が弱くアニメ的でない。
 二人が知り合うきっかけとなったカルチェラタンという文化部部室取り壊し
問題が話のベースとなり、その解決と二人が兄妹でない事実が分かることが
もっとドラマチックになってもいいのに何か気を抜いてしまって盛り上がらない。
ココを見せてくれないと。カーチェイスまでも行かなくても、二人は多くの
人に支えられ生きてきた、そしてまたこれからも自分たちの道を歩んでいく
きっかけとなるそのための船長との会話でないと。(船長が二人の親の
共通の友人ということでそれを確かめに行くのですが・・・いまさら
必要ある?って感じになっています)。

 ファンタジー色は全く抜いて1963年の中学生の恋物語をなぜ描いたのか?
それがつかめないままに映画は終了。そういえば旗の意味の説明もなかった。
省略しすぎじゃない。その割りにご飯の炊き方、目玉焼き、コロッケ、カレー
お寿司、お魚、パーティ料理など詳しく丁寧に描かれていた。でもちっとも
美味しそう、食べたい感じがしない。宮崎駿作品なら食べたいと思うだが、
どうも淡々としていて・・・・同じ目玉焼きでもハウルの目玉焼きのほうが
美味しそうだった。アニメ的動きでかなりその見え方、感じ方が変わって
くる。なんでもないポニョのラーメンなど今でもその美味しさが心に残って
いるし、コナンやハイジ、ホームズ、ルパンの頃までさかのぼってそう思う。
でも宮崎吾郎の食事シーンは丁寧なだけで何もない。その生活としての動きを
アニメで表現しているだけだ。

ちなみに旗の意味は「安全な航行を祈る」ということらしい。

ところであるコラムをネットで見て思ったのだが、
これはどうも宮崎吾郎から宮崎駿に向けてのみ作られた映画なのではないか。
古いものを取り壊して新しいものを生み出す。いや古いものの
いいところは残して新しい力で引継ぎ未来へつなげていくそういった
意味が込められているように感じた。でも映画そのものから感じた
のではないところがなんとも力不足。それが今後の宮崎吾郎監督に
期待できるかってところも私には疑問です。つまり個人的な親子コニュニケーション
映画なら二人でやってくれってこと。お金をとって劇場公開する映画にするなよ。
まあ私個人の勝手な解釈ですが・・・。


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August 12, 2010

借りぐらしのアリエッティ ~借りたままじゃなくて返して欲しかったな。でも名作です。

「借りぐらしのアリエッティ」
―――――――――――――――――――――――――――
監督:米林宏昌 企画・脚本:宮崎駿
声の出演:志田未来、神木隆之介、大竹しのぶ、竹下景子、三浦友和、樹木希林

 ジブリも商売がうまくなってきました。ブランドを育て、その質をちゃんと保てば
当たるという公式をちゃんとつかんだのです。東宝もうれしいことでしょう。
いやみに聞こえるかも知れませんが、でも作品がよければ許しましょう。
実際今回の作品はよかった。もう宮崎駿には作れない作品です。欲張った演出がない
素直に楽しめる映画になっていました。凝った演出が無い分物足りないと感じるひとが
いるかもしれないが、それを見せる力がこの映画にはあった。

郊外のまだ自然が残るある家の下にアリエッティの家族は住んでいました。
おてんばな小人の少女アリエッティは出てはいけない庭へ出て小さな狩を
楽しんでいました。そこへ体の弱い少年翔が静養にやってきて、彼女を目撃します。
やがて二人は言葉を交わすようになるのですが、それは小人の世界のおきてを
破ることに。そしてその家のお手伝いのおばさんか小人の存在を知り捕まえようと
するのですが・・・・。

話の広がりはいくらでも出来そうでした。後30分伸ばしてアリエッティの家族以外の
小人を出すとか、猫やカラスとの戦いとか追っかけをドラマチックに見せる
方法はいくらでもあったと思います。しかしそれをせずに丁寧に小人の暮らしと
少年翔との出会いとわかれ、あまり派手になり過ぎないお手伝いさんの捕獲
作戦がうまく94分でまとまっていました。
どうも最近の映画は派手なラストがないと駄目のような風潮があって、
「トイ・ストーリー3」なんかがそうです。少々麻薬になっているのでは感じる
時があります。丁寧に主人公たちの心の動き、そのドラマを見せれば十分い
楽しめる映画になるのです。この映画の見せ場はその美術の設定全部ですから。

ラストの別れは切ないものです。
お互いに淡い恋心があったと思わせるところがありますが、あまり明確にせず
去ってゆくアリエッティの姿、そして朝日がいいです。決して終わりではなく
希望の朝日に向かっているというのが。

さて今回のジブリ映画で、いつもと違って少々戸惑った点があります。
それはアリエッティのお母さんの描き方。今までのお母さんはみな母性丸出しで
でんと構えた立派なお母さん、子を見守る、女として強い、というイメージで
作られていたのですが、今回は登場人物が少ないためか、道化担当のようになって
いました。アリエッティはいつのように元気で活発な女の子だったのですが。

「借りぐらし」となっていますがどうやって返すのか?
それが描かれていませんでした。あれなら単なる盗み。大阪弁でカリパチ(借りパチ、
つまり借りぱなしで返さないという意味)ではないか。
アリエッティがお父さんと「狩にいく」といっていたのは「借りにいく」という意味?
でも返さないならやっぱり「狩」じゃないかな。
なにか特別な方法で返すところが欲しかった。
例えば「靴屋の小人」のように労働で返すとか、トトロのように種を植えてその家の
住民のためになるとか。
なんかそんなもちつもたれつの関係が出来ていて、やがて人間は小人たちのことを
忘れ去り、小人たちは滅びてゆく、そして次は人間も同様に滅びてしまうのでは
とおもわせるようなところが欲しかった。


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September 05, 2008

崖の上のポニョ

 初日に見ておきながら感想がまとまらずに1ヶ月が過ぎてしまいました。
見終わったときの印象は 

もう戻れないんだ、やっぱり、

というものでした。私としては宮崎駿の原点へ帰る作品を期待したのですが
そういう作品にはなっていませんでした。

原点へ帰るとは「となりのトトロ」を指すのですがもう無理があるようです。
明らかに「ハウル」の悪影響が出ているし、がんばりすぎている。5歳の子どもへの
映画にはなっているが、しかしである。

ただ、誤解のないように言っておくが作品が嫌いとか駄目とか言うのではない。
宮崎駿監督の作品は全て好きで、惚れている身としては駄目なところが見えても
全てを受け入れてしまい愛してしまうのでコレでいいのです。
いい作品です、好きです。これはこれで。

 初日、子どもがどうしても行きたがらないので、仕方なく子どもが起きている
間は相手をしないといけないので、寝るのを待って出かけた。21時には就寝で
妻に許可をもらって外出、レイトショーにポニョを見に行った。ええオッサンが
レイトショーでポニョを見るなんて。普通は恥かしいし、おかしいと思うわな。
でもなんか時代が変わったというか、こっちも年季の入ったというか、こういうことが
普通になってしまったなと感じた。そういう時代を我々がアニメブームから
作ってきたんだ。ガンダム、ヤマトを早朝から見るのが当たり前でその後かなりの
マンガ映画がアニメとして認められ、市民権を得てこうして普通にオッサンが
夜中に恥ずかしがらずにアニメ映画を見ることが出来る時代が来たのだ。
だから劇場はいい大人でいっぱいでした。子どもはこの時間これないからね。

 ストーリーをいちいち追っては書かないが、今までの宮崎作品の好きなところ
彼が子どもに向けて描き、語り続けてきたところがたくさんあって素敵だった。
ポニョははっきり言って今までのキャラのいいとこどりではないか。
あの姿、ハイジだと思うがいかが。でもラナちゃんもある。
パンコパの「雨降りサーカス」と同じような水没した町へ救助に出かけるシーン
なんて子ども心にわくわくした。コレが再現されている。
(パンコパの演出は高畑さん、原案・脚本・画面設定: 宮崎駿)
水没した町のシーンは他に「未来少年コナン」「カリオストロの城」でも登場。
好きなんでしょうね。

 ラナに似ているというのは最後のシーン。
なんとも歯切れのいい、明快な、コレしかない、子どもがちょっと恥ずかしく
思うかも、でも魔法が解かれるときの相場キスと決まっているものね。
その大胆で元気のいい女の子、ポニョらしい素敵な終わりかたであり、
宮崎作品に出てくる女の子らしい素敵な絵になっていた。
 「未来少年コナン」でラナが海底のコナンを助けるときに、空気をいっぱい
吸ってもぐり、くちずけでコナンに空気を与えるシーンがある。あれと一緒だ。

 魔法でおもちゃの船が大きくなるのはいい。でもあのろうそくで走る船って
私も遊んだことの無い古いものだと思うのですがいかがですか。
あのシーンは夢があるよね。

 ハウルの悪影響といったのはポニョの変態シーン。気がつけば半魚人になっている。
あれはなんか意味があるのか?ハウルでソフィーが18歳になったり、90歳になったり
したがそこに何らかの意味があったようでなく、シーンで急に変わってしまっている。
少々混乱する演出だ。意図はもうひとつよくわからないが、どちらも魔法の効きめに
関係している様子。 また、ハウルの出来損ないのようなキャラデザイン:フジモト
というのも影響を受けたと思われる(後で知ったが海底2万リーグのノーチラス号に
搭乗していた東洋人らしい)

 ラーメンを食べるシーンは災害時の非常食といえばこれよねって感じで登場。
いつもながら食事シーンは作るところからいいです。はっきり言っておいしそうですから。
ただ、ポニョはハムを下においてあったのから食べるというのはなんでなんだろう。
宮崎監督自身で描いたというが、熱いのからわざわざ食べるのが子ども?ということか。
こういうこだわりに少々戸惑うよね。

アクションシーンに期待していなかったのだが、大きな波から逃げながら走る車の
シーンは「カリオストロの城」のオープニング、花嫁を助けるシーンだね。
あれに負けないぐらいの迫力がある。ちなみにこのシーン、BGMはワルキューレっぽい
音楽だったと思うが、これはポニョの本当の名前がブリュンヒルデでこれがワルキューレ
に出てくる空を駆ける乙女の一人の名前とか、そこから来ているみたいですね。

と思いつくままに感想を書いてきましたが、
最初にいった「戻れない」と思った理由はこうです。

ポニョはある家庭にやってきてその家族の生活に変化が起きる。基本中の基本の
お話で例えば「E.T.」、「小鹿物語」「パンダコパンダ」「桃太郎」などお話はみな
そうなのだ。ポニョだって例外ではない。崖の上のお家にやってきて宗介を好きになる。
そしていろんな騒動があり、みなの生活が変わっていくお話だ。
つまりあまりにも予定通りというか、古今東西どこにでもあるお話なのだ。

それがトトロは違った。変化がないのだ。単に生活が描かれておりそこには誰もが
経験したであろう出来事が普通に描かれているのだ。

そしてはっきり言おうトトロは何もしない。

これでいいのだ!(赤塚不二夫様 ご冥福をお祈りします)

やってくるのはサツキとメイ。引越ししてきてとなりにトトロが棲んでいることが
判る。しかし二人の生活が変わることはない。留守番が出来ない妹、雨の日の傘。
妹との喧嘩。姉として泣けないが母親への甘え。そして行方不明になった妹を捜す。
彼女たちの日常が描かれ、隣人として住んでいるトトロは登場しても彼女たちの
生活には影響が無い。魔法を使うわけでもなく、いたずらをするわけでもない。
本当に何もしないのだ。
クライマックスの妹を捜すときもトトロはネコバスを呼んでくれるが、捜しては
くれない。木の上で手を振っているだけだ。

彼女たちは子どもとして当たり前の生活をしているそこに大人の事情はからまない。
そういう映画なのだ。

私は原点に戻って子どものために子どもたちの当たり前の風景が、生活が描かれていて
大人の事情がからまない純粋な子どもの事情だけでことがすすみ、終わる
そういう映画を期待した。それでこそ子どもたちに受け入れられると思ったし、
なによりも私が見たかった。

でもそういう本当の意味での等身大の子どもの映画ではなかった。
魔法のおきてやママ同士の会談、フジモトの事情などいろいろと子どもには
判らないまさに大人の事情がからんでくる。これが子どもにはわかりにくい。
そしてあまり理解したがらない。昔のマンガ映画ではそんなもんからまなかったように
思うのだ。

公開直後に子どもたちが受け入れてくれないとのコメントが監督からあったが
当たりまえだ。ズレているのだ。あれは大人が自分を写した、感情を入れた子どもだ。
だから本当の子どもは受け入れない。

あらためて誤解のないようにいうが、映画としては子どもの冒険譚としてよく
出来ているし親は子どもに見せたい、子どもは見て退屈することはない。
むしろ喜んで帰る。いつまでのあの歌を口づさんで帰ると思う。

ヒットはもちろんそれを裏付けており、200億届くのではないか。お正月まで
ロングランもありえると思う。

 気になる点としてはボイスキャスト。もう有名俳優、役者、タレントを使うのを
やめたらどうか。はっきり言ってうっとおしい。演技が出来る人は声を当ててもうまい
と証明したのは宮崎駿監督だが、今はどうも話題づくりだけで意味がないように思える。
本当にこの人の演技力を必要としたのか?いささか疑問だ。もっとうまい声優さんが
いるだろうと思った。
このあたりは鈴木プロデューサーの陰謀か?

快進撃を続けるポニョ、ベネチア国際映画祭で北野たけしや押井守に勝てるだろうか?

発表は9月5日とのこと。


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